10月1日よりオープンいたしました!


東京都江戸川区瑞江にお住いの皆さま

よたすけ
はじめまして。院長の小笠原です。

瑞江のこの場所で

 

鍼灸をもっと身近に」をコンセプトに

 

謙虚感謝の気持ちを忘れずに、

 

皆様の健康のサポートをさせていただきます。

 

そして、

先ずは瑞江の方の健康を守り、健康寿命を伸ばしていく

 

ことを

目標に活動していきます。

 

プロフィール

 

発生機序

1974年2月19日 東京都足立区のとある
産婦人科で産声をあげました。

元SMAPのメンバー森且行さんと同年同月同日生。
取り違えがあったら元SMAPのメンバーになっていたのではないでしょか。

祖父母が茨城県に住んでいたこともあり、
それを便りに東京都足立区の小学校から茨城県に移り住みました。

あれは、、、
確か

小学2年生の夏休み

でした。

当時は風呂のないアパートが当たり前のようにあって、
我が家も例にもれずお風呂に入るといえば銭湯でした。

家族皆んなで行くと言うよりは、
近所の子供達が集まっていつも
10人くらいの集団で行ってました。
そ んな時代だったんですね。

特に、年上のお兄さんたちは弟のような
小さい僕たちを連れて行ってくれた覚えがあります。

そんな下町の仲の良い所から、
いくら引っ越し先に風呂が付いていようが、
引っ越すのはやはり

小さい子供ながらもストレスは感じましたね。

しかも当時は、なぜか皆坊主頭でしたね。

なんでなんですかね!?

性格

は内気で内向的なタイプでしたが、
スポーツは大の得意で体を動かすのがとにかく好きでした。
ですが、小さい頃から運動が好きで身体を動かすことの方は活発でした。
学校が終わればみんな と集まって 野球 や ドッチボール ばかりしていました。

大きな声では言えませんが、
運動は勉強 より得意でしたね。
(後悔はしていませんが、今となってはもう少し勉強をしておけばよかった かな、、、と。)

小学校、中学校と地元の公立学校に進み

中学生時代

は陸上部 に所属し走りまくって青春を終えました。

高校時代

は地元の県立高校に進学し中学校3年間所属していた陸上部には入らず、サッカー部に入部。

中学時代に陸上の経験があったので、
足はそこそこ早いのと体育の授業や遊び程度の球技は、
ま あまあ自信があったので高校ではサッカーだなと思い入部してみました。
Jリーグ発足前でだったので、今ほどそんなに人気スポーツではなかったのですが、
それでも野球部 の次くらいには人気があったと記憶しています。

決して強くはない学校でしたが、スポーツを通じて得ることができたものは
なにものにも変えがたい喜びと経験であったと今でも感じます。

高校卒業

後、都内(台東区入谷)の印刷会社に就職しました。

厳格な父親が勤めている職場に興味があったのもあり、
社会人として初入社することになりました。

会社での地位があった父はやはり厳しかったですね。

社会人

としての何たるかをそこで学びました。

印刷会社では製版(せいはん)という原稿から印刷の工程までの仕事をしていました。

約1年が経過した頃から
『自分で何かをしたい!』
という抽象的な願望が芽生え、
当時は具体的で明確な ものはなかったのですが、

第一弾自分探し

という旅に出ました。(「自分探し」って都合のいい言葉で すよね。)

結局、1年9ヶ月後に退職し、
後先考えずに決断しました。

お店を持ちたいという強い気持ちだけで、
まずは料理が作れない と話にならない!という自分の解釈で、
地元のちゃんこ料理店『若筑波』にお世話になることになりました。

2年間という長くはない期間でしたが、
修業で包丁さばき、そして、接客接遇まで丁寧に教えてい ただました。

この時の教えがあったからこそ、
現在でも和食に関して20年以上経った今でも十分に作れるレベ ルです。

特に魚の煮付け や 鯵のなめろう、鳥の南蛮漬け が得意です。

意外と料理好きな一面もあり!!

その後、bar『サケクラすのっぶ』でお酒の勉強を積みました。

さらに、お店を持ちたい!
と夢を膨らまして修行していましたが、
現実はそんなに甘くなくお店の道は儚 くも断念することへ。

そして、

第2弾の自分探し

の旅に出ましたが、、、
さすがに母親の反対もあって就職を決めました。

ワイヤーロープを作る全国的に有名な会社で
夏は暑く、冬は寒いという過酷な環境での仕事です。

とにかく過酷な環境でしたが、
大先輩たちの叱咤激励で退職するまでの7年間、
大きな怪我をすることなく勤め上げることができました。

今では、
働けることに感謝!

健康に感謝!

親に感謝!

行きてることに感謝!

いたします。

私が

治療業界に身を置くきっかけ

ある時見たテレビ放送で海外協力隊の特集で
日本の鍼灸師がボランティアでカンボジアに行き、
地元の人に 施術をし涙をながして感謝されている場面が
今でも脳裏に残っており、影響を受けたことを今でも鮮明に覚え ています。

この時から運命は決まっていたのかもしれません。

鍼灸師になり、
たくさんの方の悩みを解決したい!
と強い志はありました。
ですが、資格を取るのは、お金も時間もかかる、、、

実際に鍼灸学校を調べてみると、
入学金や授業料は想像をはるかに超える高額だったのです。

当時は、貯蓄もなく、
かといって両親へ負担をかけるのは気が引けてしまい、
金銭面の問題で入 学は一時諦めることになりました。

7年間勤めた会社の退職を機に
心の奥底で成りたかった鍼灸師が再燃しました。

ここから、1年半の間、
入学金と初年度の授業料分をひたすら貯め
33歳の時に千葉県美浜区にある
関東鍼灸専門学校にめでたく入学することとなります。

学び舎での3年間はとても充実し
同級仲間とも今だに交流があり刺激を分け合っております。

そして国家試験に合格し、
晴れてはり師、きゅう師になりましたことは
応援してくれた家族や仲間のお陰と感じ
日々の感謝を忘れないようにしております。

治療理念

私たちは
治療を通して関わる人が
幸せにそして笑顔が増えること

 

ミッション

 

みなさまが真の意味での健康を
手にし内側から美しくなり
心から笑顔になることにより
子供たちに明るい未来を
提供してあげること

 

関わる方の皆様の健康を一生涯サポートいたます!
これから宜しくお願い致します