プロフィール

Profile
はり整躰処よたすけ代表
小笠原 智おがさわら さとし

[資格]
はり師/きゅう師

JAWH認定 レディース予防医学指導士 認定資格取得
JAWH認定 マタニティケア鍼灸師 認定資格取得

日本疼痛リハビリテーション協会 ベーシック受講

東京コアベーシック 受講
東京コアアドバンス 受講

FDM 受講

[職歴]
H18年 4月 有限会社ケアファクトリー入社
     たんぽぽ整骨院鍼灸院 勤務
同年 10月 ゆず整骨院鍼灸院 勤務
H22年 4月 こあら整骨院鍼灸院 分院長 就任
H29年 3月 こあら整骨院鍼灸院 合併
同年 4月 ぱんだ整骨院鍼灸院 勤務
同年 9月 有限会社ケアファクトリー 退社
同年 10月 はり整躰処 よたすけ 開業

1974年2月19日
東京都足立区のとある
産婦人科で産声をあげました。

元SMAPのメンバー森且行さんと同年同月同日生。
取り違えがあったら元SMAPのメンバーになっていたのではないでしょか。

祖父母が茨城県に住んでいたこともあり、
それを便りに東京都足立区の小学校 から茨城県に移り住みました。

あれは、、、
小学2年生の夏休みでした。

当時はお風呂のない賃貸アパートが当たり前のようにあって、
我が家も例にもれずお風呂に入るといえば銭湯でした。

家族皆んなで行くと言うよりは、
近所の子供達が集まっていつも
10人くらいの集団で行ってました。
そ んな時代だったんです。

特に、年上のお兄さんたちは弟のような
小さい僕たちを連れて行ってくれた覚えがあります。

そんな下町の仲の良い所から、
いくら引っ越し先に風呂が付いていようが、
引っ越すのはやはり

小さい子供ながらもストレスは感じましたね。


しかも当時は、なぜか皆坊主頭でしたね。


なんでなんですかね!?

性格は内気で内向的なタイプでしたが、
スポーツは大の得意で体を動かすのがとにかく好きでした。

ですが、小さい頃から運動が好きで身体を動かすことの方は活発でした。
学校が終わればみんな と集まって 野球 や ドッチボール ばかりしていました。

大きな声では言えませんが、
運動は勉強 より得意でしたね。
(後悔はしていませんが、今となってはもう少し勉強をしておけばよかった かな、、、と。)

小学校、中学校と地元の公立学校に進み
中学生時代は陸上部 に所属し走りまくって青春を終えました。

高校は地元の県立高校に進学し中学校3年間所属していた陸上部には入らず、 サッカー部 に入 部。

中学時代に陸上の経験があったので、
足はそこそこ早いのと体育の授業や遊び程度の球技は、
ま あまあ自信があったので高校ではサッカーだなと思い入部してみました。
Jリーグ発足前でだったので、今ほどそんなに人気スポーツではなかったのですが、
それでも野球部 の次くらいには人気があったと記憶しています。

決して強くはない学校でしたが、スポーツを通じて得ることができたものは
なにものにも変えがたい喜びと経験であったと今でも感じます。

高校卒業後、都内(台東区入谷)の印刷会社に就職しました。

厳格な父親が勤めている職場に興味があったのもあり、
社会人として初入社することになりました。

会社での地位があった父はやはり厳しかったですね。

社会人としての何たるかをそこで学びました。

印刷会社では製版(せいはん)という原稿から印刷の工程までの仕事をしていました。

約1年が経過した頃から
『自分で何かをしたい!』
という抽象的な願望が芽生え、
当時は具体的で明確な ものはなかったのですが、
第一弾自分探しという旅に出ました。(「自分探し」って都合のいい言葉で すよね。)

結局、1年9ヶ月後に退職し、
後先考えずに決断しました。

お店を持ちたいという強い気持ちだけで、
まずは料理が作れない と話にならない!という自分の解釈で、
地元のちゃんこ料理店『若筑波』にお世話になることになりました。

2年間という長くはない期間でしたが、
修業で包丁さばき、そして、接客接遇まで丁寧に教えてい ただました。

この時の教えがあったからこそ、
現在でも和食に関して20年以上経った今でも十分に作れるレベ ルです。

特に魚の煮付け や 鯵のなめろう、鳥の南蛮漬け が得意です。

意外と料理好きな一面もあり!!

その後、bar『サケクラすのっぶ』でお酒の勉強を積みました。

さらに、お店を持ちたい!
と夢を膨らまして修行していましたが、
現実はそんなに甘くなくお店の道は儚 くも断念することへ。

そして、第2弾の自分探しの旅に出ましたが、、、
さすがに母親の反対もあって就職を決めました。

ワイヤーロープを作る全国的に有名な会社で
夏は暑く、冬は寒いという過酷な環境での仕事です。

とにかく過酷な環境でしたが、
大先輩たちの叱咤激励で退職するまでの7年間、
大きな怪我をすることなく勤め上げることができました。

今では、

働けることに感謝!

健康に感謝!

親に感謝!

行きてることに感謝!

いたします。

私が”治療業界”に身を置く”きっかけ”

ある時見たテレビ放送で海外協力隊の特集で
日本の鍼灸師がボランティアでカンボジアに行き、
地元の人に 施術をし涙をながして感謝されている場面が
今でも脳裏に残っており、影響を受けたことを今でも鮮明に覚え ています。

この時から運命は決まっていたのかもしれません。

鍼灸師になり、
たくさんの方の悩みを解決したい!
と強い志はありました。
ですが、資格を取るのは、お金も時間もかかる、、、

実際に鍼灸学校を調べてみると、
入学金や授業料は想像をはるかに超える高額だったのです。

当時は、貯蓄もなく、
かといって両親へ負担をかけるのは気が引けてしまい、
金銭面の問題で入 学は一時諦めることになりました。

7年間勤めた会社の退職を機に
心の奥底で成りたかった鍼灸師が再燃しました。

ここから、1年半の間、
入学金と初年度の授業料分をひたすら貯め
33歳の時に千葉県美浜区にある
関東鍼灸専門学校にめでたく入学することとなります。

学び舎での3年間はとても充実し
同級仲間とも今だに交流があり刺激を分け合っております。

そして国家試験に合格し、
晴れてはり師、きゅう師になりましたことは
応援してくれた家族や仲間のお陰と感じ
日々の感謝を忘れないようにしております。

施術を通して、関わる人が幸せに、
笑顔が増え、そして豊かになること